ある少年拳闘家のこと

大正末期から昭和初期にかけて
といえばアメリカでは歴史に名高い禁酒法の時代である。
この時期、カリフォルニア一帯を舞台にして活躍した日本人拳闘家がいた。

まだティーンエイジャーだった中村金雄である。
色白の細っこい少年拳闘家の中村は、リングに上がるたびに必ずノックアウトで試合を終わらせた。
カリフォルニアは日系移民の多い地方で
中村が対戦する日はロサンゼルス、サンフランシスコ、サンノゼ、サクラメントなどの日本人街から応援団が駆けつけた。
そして、中村が勝つと邦字新聞の号外が出たという。

中村金雄は非力なボクサーだった。
顎もボディも弱く、一発パンチを食らうとダウンしてしまう。
彼はその弱点をよく知っていたので、完璧な防御をマスターした。
また、パンチ力もないので、カウンターを学んだ。
相手が打ってくるところを巧みにかわして、カウンターを打ちこんで倒した。

昨年の晩秋、ロスに行ったとき「ナカムラのこと知ってる」という八十八歳の日系女性に会った。中村を語る老女は懐かしさと誇りに輝いていた。
ナカムラは決してハードトレーニングをしなかったという。
練習量は他のボクサーの半分以下、その代わりに酒も煙草も女遊びもせず、いつも静かに笑っている素敵なボーイだった、と彼女は語った。

中村の面影には時代離れした合理的精神を嗅ぎとることができる。
すべてを犠牲にした牛馬のような猛練習の反措定として、あの少年ボクサーのことをいつも思い出すのだ。
(昔読んだコラムから)